こんにちは!
ダクトテープです。
みなさま、お元気ですか?
ちょっと失礼して、サバイバルのお話をいたしますね。
サバイバルの条件を考える際に、「どのような状況で」というのは重要です。
無人の廃墟なら、とにもかくにも生命の維持を目指すべきでしょう。
では、人間社会の中でサバイバルするとしたら?
人間は社会的動物です。
社会を形成することで生存を図っています。
つまり、人間社会で生きていくことこそが、サバイバルのためのポイントになるわけです。
今回は、非常事態の中で、なんとか保たれている人間社会を生き抜くサバイバルについて学んでいこうと思います。
テキストは『何もないけど空は青い』
参考にするのは、西森博之原作、飯沼ゆうき作画の漫画『何もないけど空は青い』。
小学館の「週刊少年サンデー」で2014年~2015年まで連載され、単行本は全7巻。
ダクトテープが取り上げる作品にしてはわりと珍しく完結!
隕石によって飛来した未知の地球外生命体の影響により、「鉄」が腐敗し、失われていく世界が描かれています。
主人公は、河守仁吉。
東京より200km離れた地方都市に暮らす高校生です。
彼は剣道をしていて、インターハイへの出場経験もある実力者。
剣道によって培われたスキルと精神性は、彼のサバイバルを支える大きな力となります。
そもそも、隕石は地球に衝突するはずでした。
しかし、それはわずかに逸れ、一瞬での地球崩壊は免れます。
だからといってそれで済んだわけではありません。
隕石は大量の塵をまき散らしていきました。
その塵は、鉄を分解するバクテリアだったのです。
鉄が分解されて腐敗していくということは、すなわち、我々の生活の多くが腐敗していくということ。
普段は気がつかないようなところまで、私たちの生活に鉄はあふれています。
建築物、交通機関、通信技術・・・
街は崩れ落ち、物流は途絶え、情報は途絶。
ガスも水道も電気も使用不能。
こうして、鉄が失われていくことで世界はゆっくりと崩壊していきます。
いわゆる世界の終わり物語なわけで、護身や食料獲得のためのサバイバルももちろん登場することになります。
特に「遠間」と呼ばれる剣道独特の間合いや、咄嗟の洞察力・判断力などは、武道家である主人公のキャラクターを表す特徴的なサバイバル術です。
ですが、それ以前に、もっと大切なサバイバル術がありました。
それが、「挨拶」です。
『何もないけど空は青い』の第三話「人生は挨拶が七割」を参考に、挨拶の大切さを学んでいきましょう。
当たり前の行動が、拒絶を協力に変えた!
さて。
終わりゆく世界の中では、学校なんてものは機能しなくなってしまうもの。
仁吉は同級生の七ノ宮華羅に心を残しつつ、学校を離れることに。
そして、最後の登校の翌日、仁吉は親戚を探しに隣町へ行きます。
隣町に入ったとたん、米泥棒&米屋主人のチェイスに巻き込まれ、しかも泥棒の仲間呼ばわりされてしまう仁吉。
わずか10kmほどしか離れていないものの、その荒みっぷりに驚かされます。
この町は仁吉の暮らす町よりも人口が多い、やや都会レベルが上な町。
それだけに、人がいて社会があるからこそのカオス状態になっていました。
仁吉は親戚の家のドアを叩いて安否を確認しようとしますが、反応はなし。
鍵はすでに意味がなくなっており、容易に中へ入ることができました。
鍵って鉄なのよね・・・
しかし、室内には何の手がかりもありません。
慌てて避難の準備をしたのか、空き巣が入ったのか、はたまた・・・
とにかく部屋中が荒れていて、仁吉は突然訪れた非日常に愕然とします。
親戚の行方を訪ねるため、今度は隣家のドアを叩く仁吉。
しかし、焦燥した表情の隣人は、怒りの形相で仁吉を突っぱねます。
「うるさいわね、何なのよ!」
「何なのよ、そんなの知るわけがないでしょ。」
そこで仁吉がしたことは?
そう、ここで挨拶です。
「お騒がせしてすみませんでした。」
「ありがとうございます。」
と、立礼でもっとも強い敬意を表す「深い礼」をします。
これには殺気立っていた隣人も、驚きながら態度を軟化させ、市役所で配給があるのでそこにいるかもしれないと手がかりを教えてくれました。
挨拶だけで、隣人の強い拒絶を協力に変えたのです。
これは、見逃せない変化ではないですか?
睾丸を触り合う挨拶がある!?
仁吉の嗜む剣道は、「礼にはじまり、礼におわる」と言われます。
このエピソードの後、仁吉も、剣道師範の「人生は挨拶が七割」という言葉を思い出しています。
剣道は、命のある人間が相手。
それゆえに、闘争本能を制御する必要があります。
また、相手を打たなくては強くなれません。
相手には敬意を持つ必要もあります。
こうしたことから、剣道では特に挨拶を大切にしているのだそうです。
仁吉が挨拶をしたのは、剣道家ゆえにほぼ無意識だったのかもしれませんが、人間社会でサバイバルするためには非常に有効な行動でした。
挨拶というのは気持ちの良いもの。
明るい気持ちや優しい気持ちを呼び起こすものとして、学校ぐるみで「挨拶運動」なんてのをしたりもしますしね。
挨拶にはもうちょっと深い意味もあります。
「相手に危害をくわえませんよ」「敵ではありませんよ」と相手に伝えるサインなのです。
たとえば、山道で人とすれ違う時、挨拶をしますよね。
あれは、お互いの山での安全確認のためでもありますが、山賊や、ましてや人外のものではないというメッセージでもあると聞いたことがあります。
文化人類学において、挨拶とは、
敵意がないことを伝える身振り・言葉のこと。
友好を伝えるために決まった行動をとることから、ある種の儀礼であるとも言えます。
それらの行動には、握手や抱擁のほか、鼻をすり付ける行為や、さらに睾丸を触り合うなんてのもあります。
ファッ?
なるほど、これは敵意があってはできないし、させたくない・・・
このように挨拶とは、
敵意を持っていないことを示すための小さな儀式だったのです。
荒廃した町でおびえて暮らす隣人にとって、仁吉からの「私は敵ではない」というサイン=挨拶は、久しぶりの安心できる出来事だったことでしょう。
まとめ
護身や食糧確保の具体的な技術は、無人の荒野を生き抜くためのテクニック。
一方、人間がいてそこに社会がある限り、まずしなくてはいけないサバイバルは人間社会を生き抜くこと。
人間にとって人間は、
仲間でもあり、敵にもなります。
それももっとも恐ろしい敵に。
そんな人間同士で構成された人間社会を生き抜くためのもっとも初歩的で効果的なテクニック、それが挨拶です。
挨拶ができれば、友好を表してお互いに護身することもできますし、協力しあうことで食糧確保もしやすくなります。
しかも、挨拶はほぼノーリスク。
もしもの時、とっさに挨拶ができるよう、
普段から挨拶の習慣をつけておきましょう。
また、言語・文化の異なる地域へ行くことになったら、
真っ先に挨拶と挨拶にまつわる文化を学んでおきましょう。
では。
ありがとうございました。
さようなら。
ダクトテープでした!
サバイバルポイント
挨拶の一つに「さようなら」があります。
でも、小学校の帰りの会ではたしかに「先生さようなら!みなさんさようなら!」って言ってましたが、それ以来、さようならって言わないし、言われることも久しくありません。
通常は「じゃあね」「またね」「バイバイ」
大人だったら「おつかれさま」
関西なら「ほなまた」
夜遅かったら「おやすみ」
柳沢慎吾なら「あばよ」
東ブクロと森田哲矢は「さらば青春の光」
それ以外の別れの挨拶を使ってるって人は、ぜひ教えてください!